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2022年(令和4年)3月「学校」が
やっとで終焉った記念に──────────
今更なんですが、筆者が自分の学校歴を整理し、語りたくなったので
語ります
もくじ
幼稚園
送迎の車の中でゲームボーイカラーでポケモンをやっていた。
近所に住んでる者が名前をサトシにしていたので仕方なく名前をシゲルで遊んでいた。
空手をやっていたが大会で過剰な自意識から無気力敗退を行っていた。一生懸命やって敗退するのが恥、それなら無気力敗退を選ぶという自意識、プライド。オレは弱い、力が欲しい
ある女優のご子息と同じ幼稚園だったらしく、私はその女優に「お友達にぶつかったらごめんなさいでしょ(正論)」と怒られた経験があるらしい。しかしオレは「こんなやつは友達ではない」と言って逃走したようだ。オレはカスだしその女優は得にもならないのに叱って偉いなと思いました。
小学校
「わが名は小学生」、または「給食のプリンより気になるものが出てくるなんて なんか なんか ヘンなの」って感じでしたね。(よく騒ぎを起こして泣いてたけど)
小学校5年生の頃はデスノートが流行っていて、私もそれに乗って夜神ライトさんのようにふるまわっていたら周りの人から明らかにライトくんを見る目で見られていないことに気が付いて仕方なくLの真似をしていた(授業中にL座りをするなどがあげられる)
小6の時は一時期データキャラになっていて、「これはボクのデータでは」「確率によると」「~ですね」を口癖にしていたが、「いやもうデータはいいから笑」とクラスのリア充にたった一度指摘されただけで誰も反応してくれなくて辞めたことがあった。
あとどうせバレないと思ってPCルームのキーボードをベイブレードのキョウジュのように無意味に連打していたが明らかに頭の悪いクラスメイトに「それ意味ないじゃん」と指摘されて死にたくなりました。(そいつにならバレずにデータキャラとして認めてくれると確信していた)
外事の父親に教育虐待をされながら中学受験をしたが中学受験はマジで意味ないっピね笑意味があるのは中学や高校の学歴じゃなくて大学なンだわ
その金でピアノや海外留学、旅行でもさせるべきだね笑
あと野球もやってた。これは意味あったと思うっピ。
ヤクルトの石川雅規選手を応援していて、彼が今でも投げているのはとてもインプレッシブですわね。
あの歴史的選手の古田敦也さんと彼はバッテリーを組んでたわけですからね。
私立中学校(中高一貫校)
最初のテストだけは真ん中くらいで以降は常に最下位近かった。
しかし父親がキレるので私は母と通知書を捏造してそれを父に見せていた。
まるでパラサイト(映画)だな。ソウル大学に文章捏造学科があればお前は主席だよ。
私立高校を卒業(中高一貫校)
うんこにゃ!
一浪
勉強時間は公認会計士受験生の1週間分あるかないかですが、英語と世界史だけは得意だったので現役時も受かった私立大学に進学
最初っから私立に絞れよって感じですが、家を出たかったのと(旧帝以外は許されなかった)
東大多浪ブログのmizusawaさん(※)のようにネットに毒された国立信仰が理数系を放棄することを赦させなかった。
※
【多浪の末路】東大多浪仮面浪人受験ブログ「憧れと雑念と」が切なすぎる
現役の時も受かった大学
前期
この頃が一番「大学生」で「リア充」だった。小学生とこの大学1年前期だけは人生に「まんが」があった(「サバエとヤったら終わる」)
後期
後期休学して仮面浪人
朝から晩まで図書館で勉強する生活を4か月くらい続けて──────────
「諦めかけてた運命の輪」が
「波紋」のように「広がった」
はずだった・・・・・・
北の大地
1.7点差で拾われる。(それも、選択肢を入れるべきところに語句を書いてしまい、
合格発表の数日前にこれ問題文からしてどっちも読み取れますよねぇ?というメールを送るなど
かなりの僅差だった)
ぼっちだが寮に救われる。
ひょんなことから編入試験を受ける。TOEICは2週間くらい、専門科目の準備は1か月くらいだが受かってしまった(ドヤ)
単位も2年後期フル単以外は単位不足で編入できなかったが、すんでのところでフル単を成し遂げた。
前、ツイキャスで指摘されたんだけど
編入しなければ多分4年で卒業できたんだよな・・・
ま・・・
いっか・・・
神戸大学
1年半で休学(メンタル痛風になり、教室の喧騒の中にいるだけで苦しめられ、まるで酸欠になったかのように授業中教室外へ急いで飛び出すような状態だった)
なぜこうなったか。その原因は自分の中では何度も変遷していて、このブログでもたまにその時の「トレンド」について思ったことを書いている。
- 発達障害
- インナーチャイルド・機能不全家族(家庭環境。カツドンチャンネルというYoutuberをfollowしていた時期があった)
- 「孤独感」
- 学問に対する適正の無さ
- そもそも学校生活そのものに適性がない(高校末期は欠席50くらいあった)
これまで、順番に思いついていたのがこれらだ
しかし、そのいずれも答えなんだろう──────────
休学期 ~迷走戦士・めうにんげん~
初期
ニート。(近所のラーメン屋のバイト2軒に行き、1軒は面接で落とされもう1軒は1日で逃げ出すなど散々だった)
放送大学に落ちる
放送大学に3年次編入しようとするも落とされる。
大学中退ADHDが放送大学に3年次編入学で出願しようとしたら失敗した
大学院浪人を名乗る
某公共政策大学院に学士資格無しの特例受験を認めてもらおうと長文の嘆願書を欠いたが紙切れ1枚で圧殺でした。
迷走が始まる
色々な通信制大学院・通信制大学・学位授与機構らを比較して迷走しだす。
日本福祉大学・武蔵野大学を断念
この2大学は4年次編入ができるのでそれを実行しようとしたら、2単位足りなくて資格を満たせなかった。
八洲学園大学に出願
八洲学園大学に出願したが、出願した後から大学に対して色々と「ん?」と思うことが出てきたところに
この度はご出願いただきありがとうございます。
3月25日の合格発表に向けて学内で行いました入試審査の中で
(中略)
ご提出いただいた作文内容について
以下の点を補足いただきたいとの指摘がございました。
【指摘事項】
作文の課題「八洲学園大学で何を学び、それをどう生かしたいか」に対して
以下の内容をもう少し具体的に詳しく書き足していただきたい。
・「八洲学園大学」でどのような分野の学習を進めたいのか
・卒業後の「大学院進学」では学部で学んだことを土台に研究していくことになるが、
八洲学園大学での学びを大学院での研究にどう繋げていく予定か
八洲学園大学入学支援相談センター
形式的でしかない志望理由書、にもかかわらず1時間もかけて考えたのに
こういうメールを通知されたことで八洲学園大学への編入を断念した。
大学中退
結局、大学は中退する(中退理由書には「学校生活に適応できない」とかいた思い出)
以下を進めて行った
求職者支援訓練
グラフィックデザイン・WEBデザインを学んだ。
6か月コースで、5か月在籍した。
正直覚えていることは少ないんですが──────────
ここで貰った5か月分の教育給付金の50万円が立て直していく契機になった。(それまでは慢性的に戦争中の日本の食料のように資金が不足していた)
金の限界効用がめちゃくちゃ高かった
産業能率大学・学位授与機構
しばらくして、科目履修生で産業能率大学に入学した。
科目を集めて学位授与機構で学士を取り、大学院進学を目指すためだ。
・・・・・・
これは15単位くらい取得できたが、結局もとの大学に再入学して不要な単位になってしまった(この資金はいつか母親に返す予定)
大学再入学
友達に「ワシなら絶対再入学する」と言われたとき
「たしかに」とそこでようやく気付いた。
それまで現実(リアル)を見ないで生きてきた人生に──────────
再入学試験
面接だった。これはまあ、再入学を決意するくらいの人なら多分いけるんじゃないですか。
なお、再入学には試験料30000円と入学料260000円がかかった😥
無事合格し、求職者支援訓練を切り上げ
再入学の時──────────
再入学期
残る単位は44単位あった。
精神的な問題はコロナ禍に伴う遠隔授業が解消してくれた🐳(2021年度後期のみ週1で対面授業があったにすぎない)
2020後期:12単位
2021前期:16単位
2021後期:フル単の16単位取れたかはテスト後の手ごたえではかなり怪しかったのですが
結果は幸いした──────────(※)
※
二浪三留で大学を卒業できることが決まりました。
よ~~~~~~~~~~^やく学校から解き放たれて
現在に至る・・・
現在
人生お休み中(いずれコーダーで就職して技術を得て、いずれ独立してフリーでお仕事しつつ「仕組み」を完成させて最終的に「仕組み」で生きたいフェル)
・・・・・・
今日の授業は終わり!
また来てね!