親ガチャ爆死勢だけど親ガチャを「嘆く」のはやめろ

親ガチャ

 

 

めうにんげんダイアリーは我らと共に

こんばんは!

 

 

 

今話題の「親ガチャ」についてこのブログでも話したくなりました。

 

 

親ガチャは存在します

 

親ガチャ(※)は

間違いなく・絶対に・確実に存在する。

 

※ここでは親の経済力や素質とか、親のスペック・パーソナリティの話をします。親から受け継ぐ遺伝の問題もありますが、一番最後に話しますが筆者はそこまで気にしてたら生物やっていけないという考えの持ち主なので、遺伝の問題は考えません。

 

 

親ガチャという言葉が‟不快”だという人がいる。

 

確かに親ガチャが全てではないし、

親ガチャという表現に抵抗感があるのかもしれない。

 

しかし、親ガチャという言葉をひもといて、「親次第で人生で大人になるまでの間の経験・満足・不満・成果が大きく変わること」と定義しよう。

これを否定したり、限りなく過小に評価する考えはズレていると感じませんか?

私としては間違いなくズレています。明治天皇が入れ替わっていたという説を最初に聞いた時、真偽はともかく「与太話だ…!」って直感で判断しませんか?そんな感じです。

 

親次第で、子供が20歳くらいまでで得られるもの・余計なもの・可能性・成果…は大きく違う。

親ガチャという言葉は‟不快”という「親ガチャSSRな(に見える)人達」の考えは間違っている。

ただーーー

 

この‟不快”の7割くらいは「そんなものは無い、親をなんだと思ってる」といったニュアンスだと思うんです。これに対する反論をここまでで書きました。

しかし。この言葉の3割くらいは「それ嘆いてもしょうがなくねえ?」ということだと思うんですね。

こちらはその通りだと思っています。

 

親ガチャを「嘆く」んじゃねえ

 

親ガチャを「嘆いちゃ」だめだ。やり直し(リセマラ)も絶対に確実にできないんだわ😥

 

親ガチャを「嘆く」利得もありますよ。でもそれは、惨めな気持ちを瞬間的に緩和してくれるくらいで

それはペヤング獄激辛超大盛を食べている時に序盤でひと握りの水を飲むようなもので、不毛でしかない。

 

だから我々親ガチャ爆死組がそこで嘆くんじゃなく。配られたカードで戦うしかない…これは超好きなフレーズだかスヌーピーの表現なので、私の表現でいおう。親ガチャ爆死という名のペヤング獄激辛超大盛りを食べ切るしかないんだよ。

 

産まれちゃったんだから…産まれた以上は生きるほかない。食べるしかない。

こんな家庭でだったら産まれたくなかったと思ってもどうにもならないよ。

 

私だって嘆きたいですよ!

 

親ガチャ爆死のせいで、経済的にも精神的にもゆとりのない日々、積みたいのに積めなかった経験、親が唯一得意なのは有形無形の害を絶えず大量に与えてくることだけ…

普通ならかかわり合いすら避けるような父…何も考えずそいつと結婚するような母…

人生に対する含蓄の一つでも教えてくれたらこんな風には思わなかったのに。(せいぜい母がテレビを見て「性犯罪でだけは捕まるな、それするくらいだったら強盗してくれ」程度)

 

どうして(゚´Д`゚)゚

 

この家庭からぶつけられたものは今も消えず燻り続けていますし、両親個人への憎しみは残っている。○○したいと想像することも今でもある、どくさいスイッチがあったら父だけは押すことを検討しないことは絶対にないだろう。

 

 

しかし

 

これを直接「嘆いて」も何にもならないんだ😞

 

 

正しい「嘆き方」は親を超える一択だと思います

 

ではどうするかだが。親ガチャの嘆き方はわかりやすく親を超えてかつ親を冷遇するしかないと僕は思っています。

親孝行の逆をしましょう。(「復讐」のことではない)

 

参考

【親孝行】毒親が「冷遇」されるのは本望なので叶えてあげるべき

 

なんかこの考えも「努力厨」とか言われかねないですけど、親ガチャ成功者であっても現実と理想のギャップを埋めるにはそこは「努力」しかないです。

人生をより良くするには親ガチャ関係なく努力しかない。

 

 

イヌ

 

現代日本は、イヌに比べりゃ全然チャンスあると思いますけどね。

現代日本のヒトだったら歴史も何も無い意味不明な存在でも、成り上がって血統書付きのヒトを如何(いか)にもできますよ。王侯将相いずくんぞ種あらんや(至言)ということですね。

 

 

できなくても

 

もし我が生涯に一片の満足無しで死んでも親ガチャ成功は今世限りですから大した問題もなし。

 

 

以下は2つの観点からの余談

余談1 「日本に生まれた時点で国ガチャSSR」なのか?

 

「日本人に生まれた時点で国ガチャSSR」←これは屁理屈で半分ネタかと思うんですが一応反論すると、

 

現代日本における、人の生い立ちによる、不幸感 が問題なんですから

この理屈はナンセンス。

親ガチャ失敗した子供の体感・・はちょーー不幸です。それだけ。

 

 

そんな超不幸を感じている子供に対し

北朝鮮やアフガニスタンで生まれるよりは幸せなのよ!

下には下がいるんだ!北朝鮮に生まれなくてよかった〜!日本に生まれたぁ~ハイあなた幸せ!親に文句言うな!!!

ってこと?

 

ちなみにぼくの父親と母親がこの論者でした。北朝鮮の子供は泥水すすってるってよく言い聞かせられました。

母も最近、日本人に生まれてよかったとか思わない?的なことを言っていて

思いません。日本に生まれたことは嬉しいですがとてもそういう考えにはなりません、と答えたことがあった。

 

このロジックは、自分の心構えとしては「ポジティブ」な所はあるかもしれませんけど、親ガチャロジックの誤魔化しのために使うのは卑劣なんだわ。他人に向けていいロジックじゃない。

 

 

余談2 生物に「平等」なんてありえない

 

真の平等なんてないのは、口に出さなくてもみんな暗に認めている事実だ。

 

例えば、外国人の婚活では白人キリスト教徒だけはなんとかなる可能性が高いし(生まれ次第で愛すらハードになる残酷な話、それはどんな済ましたクラスのアイドルが恋人を選ぶときだって無意識に働かせている)

 

就きたい職業、住みたい場所、グリーン車…

ある程度の・・・・・‟格差”は受け入れなきゃ生物やっていけないですよ。

 

また、上を見出したらキリがないのもおわかりでしょうか?

「親ガチャ成功SSR」とされるセレブリティだって、社交場では名字でコンプレックスを抱いてるのかもしれないですよ(「せめて地下人(じげにん。中級下級貴族)の血筋がよかったーーー!」とか)

 

是正できる理不尽格差は是正するべきだと思っていますが

是正できないもん!生まれは!

受け入れて戦うしかないっすよ!!

(問題はそのことにいつ気が付くかだと思う。できれば‟シャバ”で気づきたいっすね)

 

 

 

わしも親を「冷遇」できるようになりたいと思っている。

 

皆様…一緒に頑張りましょうぜ。

 

 

 

私は

誰よりも

親ガチャに恵まれなくとも前向きである人を

(それだけで)心より応援する者です・・・!

 

 

まとめ

 

親ガチャは存在するけど、当事者の「嘆き」は無意味なので

親を超えて‟冷遇”しよう!!

 

 

 

天下無敵のサクセス・ストーリー 始めよう

 

ギャラクシー☆Bang!Bang!/エンジェル隊

 

 

・・・・・・

 

 

今日の授業は終わり!

また来てね☆

 

 

 

 

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