めうにんげんダイアリーへようこそ!
こんばんは!
(積極的安楽死について考えます)
現状維持でいい
我が国は
安楽死はNG(だが大金を払ってスイスに行けば可能)、自殺は推奨はしないが不承不承ながら認めている(※)のが現状だ。
※国はあの世まで行って自殺を自分に対する殺人として取り締まったりしてない
完全自殺マニュアルという自殺のマニュアル本の刊行を禁止せず認めるくらいで、全く勧めないが手段そのものを封じたりはしない。
(積極的)安楽死を認めるべきか
ぼくはやや反対です。
自殺そのものにはやや賛成なんですよ。(正確に言えば自殺の権利を妨害するのはナンセンス)
個人は100%自由に生も死も選べるべきですし、生きること自体への道徳や美は特にないと思ってますし🙂
セーブ出来ないうえに充電機能の壊れたゲームを遊んでいるようなものです
(じゃあなぜ生きるのって話は後でします)
自殺を引き留める際は
「悲しむ人がいる」といったのがありがちなコメントです。
死んだ後にその方が悲しもうが知ったこっちゃないので
(来世や死後の世界は多分無いと思っていますし)
引き留めるンならその場で現世の幸福を提示するべきだと思っています
(自殺を選ぼうとしている人との世界の違いをわからせている発言でもあるので神経を逆なでしそう、という点でもこの引き留め方はよくないと思います)
閑話休題。
というわけで自殺の権利はあると思っているんですが。
安楽死で自殺をシステム的に擁護するのはやや反対。
100%自分自身で選択べるというのが自殺の理念
安楽死システムはそれを破壊してしまう
つまり─────────
安楽死を認めることで
生=「安楽死をしない権利を行使」
につながる。
ハンデを抱え(難病や障害など)、生きている人の生が
「安楽死を選んでいない」になりかねない、なってしまう。
(そういう目線を向けられてしまう)
安楽死制度により
自殺の100%個人の権利であるという理念は壊され
世間の目を配慮した自殺が生じてしまう。
(100%自身により人生を終わらせるのではなく、世間がそれを幇助してしまう)
他者の視線・・・「望ましくない」者を共同体から排除する視線・・・
自分以外の意思に書かされる安楽死願いのサイン・・・
生きること自体への白眼視、”ディストピア”を作ってはいけない。
安楽死という択が加えられたら
そういう方の生そのものに、今以上にプレスがかかる
これはいけない
だから、積極的安楽死の制度を構築するべきではないです。
もちろん、積極的安楽死制度によって本当に救われる方
治る見込み0で辛いだけの難病の方や本心から100%死にたい方はいるでしょう。
(自分に置き換えても、将来生きたくないような状況や病を想定することはある)
ただその方々の自殺の恐怖を和らげるために社会をディストピアに近づけるのは割に合わない
ということですね。
安楽死したければ、大金を用意してスイスやベネルクスに飛んでそこで受ける。
このハードルの高さがちょうどよい🙂
・・・・・・
安楽死システムを優生思想と切り離して設計することは不可能ではないと思っている
(安楽死が権力者による余計なお世話ではなく心からの緩和ケア、‟尊厳死”になる)
自死をする権利
自らの死を選ぶ権利自体はやや賛成。
なんでぼくは生きるか。免れない死により現世で得たものはパァになるのに。って話ですけど
まず、
死んだら無、0ですよね。
一切効用も費用も発生しない。
ぼくはですね
生きていて得られる効用が費用を上回って0を上回っていれば生きて当然
0以下なら死なずに現世で0以上になるよう目指せばいいと思っているんです。
だから生きるしかないです。
気付かないだけで
死後の世界はつまらんよ?
この考えがある限り自分は今絶対安楽死を選ぶようなことはなく、今後もそうで間違いないんでしょう。
そして、もし僕が自殺を止める立場にあったとしたら
この考えを軸に説得を伝えるかもしれない。
とはいえーーー
アドルフ・ヒトラーが1945年5月のドイツ降伏の時に生きていたとしても、今後の人生で効用が費用(ストレス)を上回る日は1日たりとも来ないだろうし…
(戦争犯罪で待ち受ける死刑執行の日、毎日手錠に繋がれて裁判、娯楽0、看守はロシア人・ポーランド人・ユダヤ人で毎日私刑を受ける、祖国の人からも恨まれ…
一応「奇跡」が起きれば脱出できるかもしれないが
その「奇跡」を期待する利得と苦痛がまるで釣り合っていない。
こんな人生なら続ける意味は無い)
ヒトラーは大げさにしろ、現実にこういう‟詰み”の状況の方がいることは考えられる。
人が死を選ぶ権利までは否定しない。
僕も現世が全てとは思っていない。
竹本(闇金ウシジマくん)
死のハードル
死んだら無。0。永遠の0。
もう戻れないのよ。
実際、アドルフ・ヒトラー並に追い詰められかつ挽回不可能な人ばかりではないだろう。
選択肢に気がついてない人も多数いることだ。
まあ、この方面は話が脱線するのでこれくらいにして、
安楽死を認めることは、死へのハードルを下げてしまうんですよ。
死のハードルが高いから
execute(※)を迷うわけです。悩むわけです。
※実行・処刑
時間が長引けば冷静になりますよ。つまり、死のハードルを高くすることで、なるべく人々は人生における最善手を探してくれます。
結果的に多くの命は救われますね。
今、自殺のハードルは高い。
自殺の選択肢を考えると、どれもありえない勇気がいる。
そのハードルを超えてまで死を欲する方は、安楽死があってもなくても死を選ぶだろう。
積極的安楽死はハードル下げ過ぎなのでやっぱり設計するべきではないとおもいますね。
明日カノでゆあてゃが一番人気あるのって
‟アンサー”だよね
めうにんげん
・・・・・・
今日の授業は終わり!
また来てね!