歴史上、たくさんの人間たちが
(その意に反して)処刑されてきた
時には絞首台で、時には断頭台で
時には皇帝陛下の御前へ
時には首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑を見物する庶民たちの前へ
人間たちは処刑されるために歩いて行った
その歩みに心地よさは0.000000000001%も無いでしょう。もっとも、例外はあろう。ナチスドイツの占領に対して反抗し死刑になる直前、民衆を鼓舞したスティエパン・フィリポヴィッチ────────
ベラルーシのパルチザン少女、マーシャ・ブラスキナ
自分自身の命さえ手段としてしかみなしていないかった彼らは
確実な死への道のりに際しても、英雄的な使命に燃えていたのだろう。
しかし、彼らはあくまで例外で
・・・・・・
歴史上、たくさんの人間たちが
(その意に反して)処刑されてきた
心地よさ0で処刑台へと向かった
オレにとって誕生日とは
そういうことです
死への歩み、そのマイルストーンみを感じる日
無駄死へ一歩向かう誕生日、30代へ向かう誕生日、果てだけどぼんやりくっきり存在する断頭台
嬉しくなんてなんて何もなかった
誕生日を迎える度に
何を祝うのかが ずっと ナゾだった
ということですね(ちなみになんで誕生日を祝うか以前考えたことがある。記事の最後にリンク張っておきます)
でも
Xではいっぱいたんおめを言ってくれた
LINEでも友人、先生、元同僚、その他の方から言ってもらった
(先生は焼肉まで奢ってくださるそうだ🥹)
そんな誕生日だった
ずっと家いたし別にイベントとか何もなかったけど
それだけで
これは愉悦(うれし)い────────そう思った
朝に感じた不快な気持ちは無くなっていて
やさしい気持ちになれたんだ🥹
今後はボクも「絡みなくね?」とか「他の人も言ってね?」とか気にせずおたおめ言って行こうと思いました、ハイ
生きるわ。自分をよくしてくれる人に報い、「仕組み」を成し遂げないといけない。改めてそう思いました
今実家帰省中なんですが来週には戻って必ず勉強始めます、「仕組み」を作りたいじゃなくて作らなければならない
それだけは…怖い
・誕生日をなんで祝うのか考えた記事
「誕生日を迎えるたびに何を祝うのかがずっとナゾだった」←この歌詞