今日は20代最後の誕生日だった

 

歴史上、たくさんの人間たちが

(その意に反して)処刑されてきた

 

 

時には絞首台で、時には断頭台で

 

時には皇帝陛下の御前へ

時には首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑を見物する庶民たちの前へ

人間たちは処刑されるために歩いて行った

 

その歩みに心地よさは0.000000000001%も無いでしょう。もっとも、例外はあろう。ナチスドイツの占領に対して反抗し死刑になる直前、民衆を鼓舞したスティエパン・フィリポヴィッチ────────

 

Stjepan_Stevo_Filipovic

 

ベラルーシのパルチザン少女、マーシャ・ブラスキナ

 

Masha Bruskina

 

自分自身の命さえ手段としてしかみなしていないかった彼らは

確実な死への道のりに際しても、英雄的な使命に燃えていたのだろう。

 

 

しかし、彼らはあくまで例外で

 

・・・・・・

 

歴史上、たくさんの人間たちが

(その意に反して)処刑されてきた

心地よさ0で処刑台へと向かった

 

 

 

オレにとって誕生日とは

そういうことです

死への歩み、そのマイルストーンみを感じる日

 

 

死は「終わり」で確実に回復できない。それが怖いわけじゃないが、まだオレは「何か」を何も為していない。誰かの足しか引っ張っていない

 

今死んだら完全な無駄死にだ

 

無駄死へ一歩向かう誕生日、30代へ向かう誕生日、果てだけどぼんやりくっきり存在する断頭台

嬉しくなんてなんて何もなかった

 

 

 

誕生日を迎える度に

何を祝うのかが ずっと ナゾだった

 

ということですね(ちなみになんで誕生日を祝うか以前考えたことがある。記事の最後にリンク張っておきます)

 

 

 

でも

 

 

Xではいっぱいたんおめを言ってくれた

LINEでも友人、先生、元同僚、その他の方から言ってもらった

(先生は焼肉まで奢ってくださるそうだ🥹)

 

そんな誕生日だった

 

ずっと家いたし別にイベントとか何もなかったけど

 

それだけで

 

これは愉悦(うれし)い────────そう思った

 

朝に感じた不快な気持ちは無くなっていて

やさしい気持ちになれたんだ🥹

今後はボクも「絡みなくね?」とか「他の人も言ってね?」とか気にせずおたおめ言って行こうと思いました、ハイ

 

 

生きるわ。自分をよくしてくれる人に報い、「仕組み」を成し遂げないといけない。改めてそう思いました

今実家帰省中なんですが来週には戻って必ず勉強始めます、「仕組み」を作りたいじゃなくて作らなければならない

 

さっきも書いたんですが、今死んだら完全な無駄死にだ。

 

それだけは…怖い

 

 

・誕生日をなんで祝うのか考えた記事

「誕生日を迎えるたびに何を祝うのかがずっとナゾだった」←この歌詞

 

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