今日はイスラム教のクルバンバイラム(犠牲祭)の日だ。聖書ではアブラハムがイサクを犠牲にささげようとして神に止められる場面がある。イスラム教のコーランではイサクより妾の子のイシュマエルを重視するためか犠牲になりかけたのはイシュマエルと話が変わっているらしい。それで、イシュマエルが犠牲になりかけた記念?の日がこの犠牲祭の日だ。
クルバンバイラムはトルコで祝われている。僕はトルコ人をひとくくりにして批判しようとするものではないが、かつてトルコが犯した罪について、日本の歴史教育の権威である山川の世界史教科書のどこにも載ってない。
トルコの犯した罪について知っているのは日本人1億2000万人のうちおそらく10000人程度、僕と同じ音楽の趣味を持つ人程度しかいない状況が「不正義」だと感じてこの記事を書いた。欧州の多くの国で否定することが罪とされるトルコの過去について知ってください。
日本人はトルコと言ったら
や、
エルトゥールル号遭難事件以来の友好国、
といったイメージがあるかもしれません。
友好国。それは嬉しいことです。しかしトルコが起こした負の歴史を全く知らないわけにはいかないんだ。
20世紀以降、トルコは数々の業を背負ってきている。過去の不正義は正されなくてはいけない。私が言う不正義は、東ローマ帝国やバルカン諸国を滅ぼしたなどの戦争で国土を拡大したこと、北キプロス・トルコ共和国を成立させたような機敏な軍事・外交についてとやかく言うのではない。
ただ、民族や宗教でひとくくりにして、無抵抗の無辜の人々を虐殺する行為だけは正当化し得ないんだ。その点でトルコは反省するべき点がある。
アルメニア人虐殺
トルコ政府はオスマン帝国にいたキリスト教徒のアルメニア人を第一次世界大戦中に大虐殺した。その数は100万人を超えると言われていて、ヒトラーのホロコーストに先立ち20世紀最初のジェノサイドと呼ばれる。
その後アルメニア国家は建国されるが、アルメニア人の、いや人類の心のふるさと「アララト山」はトルコが占領したままだ。
(アララト山は大洪水を生き延びたノアの箱舟が最後にたどりついた山だ)
今でもアルメニア人はアララト山を諦めていないことがアルメニアの国章を見るとわかるだろう。
(アルメニアの国章には領土外のアララト山が描かれている、気になる方はググってみてくれ)
アゼルバイジャンを支援する
日本ではある有名な先輩の語録くらいでしか知られていない国家だが、アゼルバイジャンはアルメニアと対立している。
トルコはソ連崩壊後のアルメニア・アゼルバイジャン戦争時にアゼルバイジャンを支援したが、国家の存亡がかかっていたアルメニアはイスラエルのように勇敢に戦い、アゼルバイジャンの領土を占領した。
ギリシャ人虐殺
オスマン帝国は同様に第一次世界大戦中敵国でキリスト教徒のギリシャ人を虐殺し続けた。
イスタンブール・ポグロム
トルコ人が1000年代に入って中央アジアから騎馬に乗って小アジア(現在のトルコ共和国の領域)に進出してくるまで、ずっとその土地ではギリシャ人が活動していた。そして、ギリシャ人の帝国であるビザンツ帝国(東ローマ帝国)の中心はコンスタンティノープル(現・イスタンブール)だった。
イスタンブールにはギリシャの国教である正教会の最高権威であるコンスタンティノープル総主教庁が今でもおかれている。このような関係から、1923年にギリシャ・トルコ戦争を終わらせ、両国民を追放しあったローザンヌ条約でも、イスタンブールのギリシャ人は居住を許された。
しかし1955年にイスタンブールではポグロム(暴動)が起きてギリシャ人は多数が虐殺され、商店や教会は破壊された。
その影響で今やイスタンブール(を含むトルコ全土)にギリシャ人はほとんど住んでいない。一方、ギリシャのトルコ人口は増加しつつある。トルコのギリシャに対する不正義について敢えて何も言いはしない。この事実さえ語れば十分だろう。
アッシリア人虐殺
アッシリア人はあまり知られていないが古来から続く由緒ある民族だ。昔からのキリスト教の教義を実践している。
オスマン帝国は彼らも虐殺していた。
クルド人を迫害する
トルコ人はクルド人を迫害した。しかしクルド人は第一次世界大戦中トルコ人と一緒になってキリスト教徒を迫害していた事実はある。
ここからは21世紀の話だ。
シリア北部を占領する
シリア内戦に介入し、気が付いたらシリア北部がトルコ軍に制圧されていた。これは2020年7月現在でもそうだ。
エルドアン大統領はオスマン帝国への慕情を隠そうともしない。大統領は時々、まるでオスマン帝国皇帝のようにふるまう。
ハギアソフィア大聖堂をモスクに改修
かつてビザンツ帝国(東ローマ帝国)のギリシャ人の教会だったハギアソフィア大聖堂はモスクになっていたが、トルコ共和国を設立したムスタファ・ケマル・アタテュルクは大聖堂を無宗教の博物館にしていた。
しかし最近エルドアン大統領によって大聖堂は再びモスクとして運営されるようになり、この日はキリスト教徒の悲しみの日であるとギリシャ人のアカウントは伝える。この記事もこのニュースに触発されて書いた。
21世紀という時代に逆行した動きが生みだすひずみがいつかトルコにとっても災いを起こしうるだろう。
いかがでしたか?
再び断っておくが、僕はトルコという国家そのものやトルコ人を一くくりにして否定をするつもりはまるでない。また、日本と友好関係にあるのはとてもうれしくこれからもそれを続けていきたいと思っている。
しかしそれはそれとして日本ではこのトルコの犯罪があまりにも知られてなさすぎるので書きました。