横浜の三渓園に行って写真を撮ってきました!

Sankeien Garden

 

めうにんげん

あまねく世界に幸福を。横浜市民のめうにんげんと申します。

 

僕は横浜で生まれて横浜で育った。しかし、横浜市民の憩(いこ)いのガーデンである三渓園にはまだ行ったことがなかった。

2020年2月7日、三渓園行ってきて写真をたくさん撮ったので感情を交えずに写真を載せていきます。

 

三渓園とは?

フ…三渓園というのは、

明治から大正時代にかけて横浜で生糸の貿易で活躍し、財をなした実業家・原三渓(原富太郎)さんが作った庭園のことだ。

 

明治時代から彼はこの庭園(正確にはそのうち外苑)を無料で一般公開していた。

 

横浜市民の皆さん、みなとみらい中華街で横浜らしさを感じるのは楽しいですよね。

しかし視界は都会と海だけでは渇いてしまいます。視界に、京都みたいな日本庭園を入れてみませんか。

古来より多くの日本やインドの文人たちが三渓園を訪れ、三渓園を愛しました。三渓園を訪れるということは、彼らのメンタリティと自分のメンタリティをシンクロさせることだ。

 

三渓園はトリップアドバイザーでもGoogleの口コミでも高い評価を得ています。

 

 

 

 

めうにんげん

…!

 

めうにんげん

ふむ。

 

 

「それでも忙しくていけない~( ・´ω`・ )」「ちょっと遠いな~」

といったご意見がきこえました。

 

 

 

 

しょうがないめうねぇ

 

 

 

 

 

 

めうにんげん

は以下、僕が皆様に代わり三渓園に行きたくさん写真を撮ってきたので、ご覧ください!それでは本編行ってみよう!

三渓園

今日は、素晴らしい冬晴れだ。外に出たくてうずうずしてきた。

ボクは、横浜駅東口乗り場から8系統 本牧車庫行きに乗って「三渓園入口」停留所を目指したんだ。

このバスは桜木町駅や県庁、中華街といった横浜の主要な観光地を経由し、本牧地区を目指す路線だ。

 

僕は本牧に行くのは初めてだった。知識としては知っている。本牧は横浜の中心的な地域を構成する一要素であるが、鉄道がとおっていないこと。そして三渓園があること。

バスは中華街をすぎると急に普通の住宅っぽくなり、本牧って感じがした。

 

横浜駅から35分ほどゆられて、「本牧」バス停についた。

早くも事件が起きた。それは、僕は降りるバス停を間違ってしまったのだ。

 

事情を話していこうか。まず、横浜駅には三渓園へは「本牧」バス停からでも7分くらい歩けばつきます!といった表示があった。

ふむ。じゃあ「本牧」の次あたりがお目当ての「三渓園入口」だろうよ。

そう確信したボクは、バスが「本牧」を離れた瞬間にブザーを押した。いかにも三渓園慣れてますよ感を運転手さんと乗客の方々にわからせるためだ。しかし。

 

次のバス停は「桜道」だった…

 

「さ」まで読まれた時点は勝ちを確信していたんだが、全然違いました。おかげで僕は「桜道」で降りざるを得なくなった。幸い、そこからでも三渓園は5分ほど歩けばつきましたが。私の経験を他山の石とし、皆様も注意していただければ幸いだ。

 

さて、どんどん写真を載せていくかね

三渓園についたよ!(逆光ですまない)

ふむ

……!!(逆光ですまない)

 

3時ちょうどごろ、僕は初めての三渓園に入った。

 

横浜なのに京都みたいだ!真っ先にそう思った。しかも今日はすごくすいていた。

2月、平日、3時台、イベントは何もやっていない。混むはずがなく。

カルガモ(違ったらすみません)がいっぱいいた。あと一匹だけ鵜(う)飼の鵜っぽい鳥(これも違ったらすみません)がたたずんでいた。

 

ここからは内苑だ。三渓園は原三渓さんの日本庭園なんだが、内苑は三渓さんの居住区だったエリアだ。今はどちらも公開されています。

ここが内苑だ。三渓さんはこの京都の仙洞御所のような土地で人生を過ごした。

川があって池があって鯉もいた。

橋の途中で腰掛けられるようになっています。これはあれですね。日本史で習った寝殿造りというやつだ。

内苑は広かった。

なぜか石棺があった。

ここは内苑を裏門の海岸門から出たところにあるトイレだ。このトイレはたぶん三渓さんがいたときにはなかった。ところで三渓園は猫がいっぱいいるんですが、この猫の鳴き声がすごくかわいかったです。なんて猫ですか?

ここは、三渓園の南門(根岸方面の出口)のそばだ。池と中華風の門がある。三渓さんはよく漢詩をし、中華趣味があるところが度々うかがえる。

これは南門だ。ゲートの先も興味があるが三渓園から出てしまうので行かなかった。なんとなくドラクエみを感じた。

松風閣のあとだ。松風閣の名づけはあの伊藤博文先生だ。しかし松風閣は関東大震災で倒壊してしまった。三渓園には空襲や関東大震災で今はなくなってしまった建物が若干ある。しかし全体的にかなり多くが当時のまま残っている。

近くに同じ松風閣という名前の展望台があって、そこから海のほうを見られる。

昔はのどかな海が見られたはずだ。いや、見られたに違いない。 南門の近くの看板には昭和半ばまで潮干狩りや養殖ができたと書いてました。

これは、出世観音だ。(由来とかは書かれてなかった)

三重の塔。三渓園で一番目立つ建物だが、残念ながら中には入れなかった。

 

ここでスマホの電池が切れてしまったのでここからiPad mini2で撮った写真をのせていきます!

 

三重塔の近くから三渓園の大池と本牧の街並みを見渡すことができるぞ。

三重塔から降りたところには初音茶屋がある。ここでは昔お茶を無料で振舞っていたそうだ。

これは、いわゆるてっぽうユリでしたっけ。(無知)

参考(いわゆるてっぽうユリ)

 

 

 

ここは、旧矢箆原家住宅の内部だ。三渓園内で唯一内部見学ができる施設だ。白川郷から移築した建物で合掌造の内部を見学することができる。(これらの情報は家帰ってパンフレット見て知りました。) 僕の感想としてはとにかく足が冷たい! あと、中国人の一団がいた。あ、そうか。三渓園が空いてたのは今中国人がウィルスにより来られていないからかもしれない。 なおこの施設の中にノートがあって、外国語が散見された。私も「我是日本人!你那?(私は日本人です!あなたは?)」って書いておいた。ボクはこうしてノートで異国の人と交流できたことに心の中で満足していたんだが、正しくは「你呢?」だった。

 

お寺もありました。中には入ってないんですが。これは三重塔と同じで京都にある燈明寺という施設を移築したものだそうです。

神社もあった。戦後に作られたもののようだ。 
私はお賽銭をした。「努力を続けられる自分になるための努力がどうか続きますように。もちろんこれは僕がやることなんですが、1%だけ、霊力によるプロヴィデンスを受けられたなら。」的なことをはっきりさせた。(周りには誰もいなかったよ!)

戻ってきたよ~

大池綺麗でいっぱい写真撮りました。

2時間で回れるか不安だったけど、園内こころゆくまで楽しむことができた。今は16時40分ごろ…閉園まで20分ほど。

めうにんげん

三渓園ありがとうございました!

 

ボクはまた「本牧」からバスに乗り、桜木町駅にやってきたんだ。

ramen.

桜木町で食事をしようと思って、ボクはなんとなく野毛の「ゴル麺」に入った。店員が中国人(多分)だった。慣れない日本語で接客していて頑張っていた。
味はまぁまぁだったカナ。

 

感想とか

・内苑・外苑問わず建物の多くは、江戸以前に建てられた歴史的な建築物を三渓園に移築されたものだ。三渓さんがとてつもなく裕福で力があったことが伺える。

 

・園内で紋付と白無垢の新郎新婦の2人が写真屋さんによって撮られていた。今日は空いてて撮影にはとても良い日ではないでしょうか。彼らがこの時間帯を選んだことからも、空いている三渓園に行きたかったら平日3時くらいがいいと思いました。

 

三渓記念館

原三渓さんについての展示と三渓さんが収集した美術品のコレクションが若干展示されてある三渓記念館がありました。(写真撮影不可)

 

原三渓さんについて

・生糸の取引で財をなす

・美術や漢詩にも通じた

・「三渓園の美しい風景は創造主がつくったものだ。」三渓園を独り占めせず一般公開

 

・記念館は「抹茶」が飲める休憩所がある。

・そこで俳句と漢詩を作ることが残りの人生の意義だって話していたおばあさんがいた。

・あと和服でお茶を楽しんでいる方々もいました。

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