「誕生日を迎えるたびに何を祝うのかがずっとナゾだった」←この歌詞

 

誕生日を迎える度に

何を祝うのかが ずっと ナゾだった

見えなくなってしまったものは

二度とかえらないと 知ったとき

 

年を経ることに後悔と

一日が過ぎていく恐怖を感じた

 

Wind Climbing~風にあそばれて~/奥井亜紀

 

 

誕生日────────

 

あなたが小学生以下なら、無条件に喜ぶイベントじゃないかろうか😺

 

 

中学・高校でもまあ喜ばしいことだと思う。心も体も頭脳も成長して選択肢が増えていくからね

 

しかし、人生はマリオの強制スクロールのようなものだ。(少なくともボクはそう理解しています。人生は期限付きなのよ。レベルが上がっても能力が上がらないポケモンがいたらどう思います?🫠)人間に生まれたら20代…30代…、歳を重ねるにつれていろいろと”ステージ”も上げていかなければならない。しかも死(終焉おわり)に向かって。そういう人間のシステムのもとでは、20代以降の誕生日は必ずしも喜ばしくない…いや、むしろ誕生日が哀しみだと言っても言い過ぎではないだろう

 

ではなんで、大人になっても誕生日を祝うのだろう?

 

 

 

わかってきたかも…

 

 

プロ野球でサヨナラ勝ちした時、試合が重要じゃなくても記録が無くても

めっちゃ大喜びで手荒い祝福するじゃん。クライマックスシリーズとか日本シリーズの1勝のほうがもっと重要なのに、普通のペナントレースの1勝でVolvicぶっかけるじゃん

 

・・・・・・

 

それと同じじゃなァい!???

 

 

・・・・・・

・・・・・・

 

 

つまり、誕生日を祝うのは

みんな騒ぎが欲しいだけなのよ、というふうに解釈した

誕生日にせよサヨナラ勝ちにせよ、祝うことにリーズナビリティ合理性があるわけではなく

「お祭り」という目的に祝いが付属しているんだろう。

 

・・・・・・

 

 

このことに悪い感情は全くないです。

人生に「お祭り」が必要なんだ・・・

 

 

ボクも人生中盤に差し掛かっているからわかるんですが、受験、部活、就職。そういう「イベント」が明らかに10代のころより少ないんですね

でも人は「イベント」がないとおなかが空くわ。誕生日とは、万人に対し平等に、「お祭り」をするための「リーズン言い訳」を提供する、きわめてリーズナブルなシステムなのだ😺

 

 

…実は、この「Wind Climbing~風にあそばれて~」の中でも

答えは示されているんですね

 

 

どうにもならない 今日だけど

平坦な道じゃ きっとつまらない

 

Wind Climbing~風にあそばれて~/奥井亜紀

 

 

ということですね!

 

 

 

あなたがたいせつにしてるもの

解りはじめてきたような気がしてる

 

BEAM my BEAM/ひまりんこ・L・しずくえす

 

・・・・・・

 

今日の授業は終わり、また来てね

 

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