【めうの就活日記part3】弟とオレの就職活動を比較

めうの就活日記 part3

 

 

めうにんげんダイアリーへようこそ!

こんばんは!

 

 

 

就職活動、これは大変な道のりだで(マスター国松)

 

面接は敗北の連続だ(オレはまだ受けてすらいないんですが(;´・ω・))

 

面接で内定を得るための様々な準備も非常に面倒で大変な作業だし

等身大の自分と向き合わざるを得ない🥲

 

選考は他者と比較されて

「使える」か、一緒に働きたいか

という現実(リアル)でお世辞抜きの審査の連続だ😢

 

 

しかし、世の中────────────

”多くの人”が「重力」に身をまかせたりせずに乗り越え

よりよい職を得ている。

 

 

みんな────────────面接で敗北しても、1勝をつかむためにめげずに頑張っている

or

勝てなければ、それはそれで”現実(結果)”を受け容れている

 

 

何が言いたいかというとですね

 

弟みたいな最初っから”勝負”をしないことを、性格がいい、早稲田にいこうとしない(※)と絶賛する(していた)母はおかしいんだわ😰

 

 

※オレが高校生の時、母はよく弟への祝詞(のりと)を私に対して唱えていた。弟より性格のいい人がいる?と質問形式の祝詞だった。

オレは一度小学校の友達の〇〇くんを答えた。彼はスポーツ万能で性格もよくてイケメンで早稲田高校に通っていた。

しかし母はこう答えた「〇〇くんは早稲田じゃない(=弟は早稲田に行ってない、だから弟の方が上)」(…)

 

 

じゃあ中学受験やらされたのはなんだったんだ?

 

 

まあ弟は「結果」を受け容れているけどね、負けはまけだと。不戦敗だがれきとした敗北であると。

母はオレの大学受験の結果を「認める」ことなんてない(弟の否定につながるから)が、弟はそうじゃない。すごいと言ってくれる。

自分には、面接のために積み上げて勝利することはやれない(できない)ということも受け容れているでしょう。

 

 

 

母だけがそれをごまかしている。だから弟は世界一性格が優れている、早稲田に行かないから優れているなどと言える

 

は──────ー-------------------

 

 

オレが思うに

無人島でも行かない限り、”勝負”は人生で待ち受けている。つまり、人生はどうしても人と比較する場所があると──────

 

”勝負”を自分の中でどう位置付けるかはその人次第ですが

 

人生は”勝負”の「結果」の答え合わせなんだよ…ッ(ガン←壁を叩く音)

 

それをごまかして、勝負そのものを無いかのようにすんじゃないよ!!

 

もちろん

納得・満足しているかどうかは人生の”勝負”に勝利するか以上に大切なのだが

母はあまりにも”デュエル(勝負)”という人の”ルール”を敵視していた。

そう”ルール”。デュエルは人生から外すことはできない。

 

人生の”現実”から目をそらして、むしろ”デュエル”する人が「厚かましい」という卑劣な言説だ。

本来は不戦敗という敗北なのに。不戦敗の方が優れているなんてそんなのありえない。

 

満足の余地は人によって違う。小さいのも大きいのも私はどちらも「一局の人生」だと考える。

「ライフスタイル」の違いだ。

(弟が就こうとしている仕事で弟は満足できる。オレは満足できないけど、どちらも「一局」だと思います)

 

満足の余地が小さい人が何もしないのを最高だと”称賛”するのが意味わからない😡😡

”称賛”するなら努力をした方に決まっているンだわ。小室敬先生のように。

 

 

勝負をしないから素晴らしい。という母の教えはどうしても納得できない。

人生における勝負から逃げるのは

無効試合になったのではなく、不戦敗を喫している

 

まあ弟の性格はオレも好きだけど、それは大学受験や就職活動でただただ低きに流れる性質ではない。そういう性質を「いい性格」と表現するのは、弟の意思を無視しているというか、本質的にはペットみたいだからという理由で好んでいるのと同じで、ぞっとする。いつまでも手元に置いておきたい、だからレベルアップしないでほしいという欲望の現れが垣間見えるからぞっとする。あと母には自分に合わせて低くあってほしいみたいな意思も感じる😰

 

できる人────────────人生においてより高いパフォーマンスを発揮した人

その人には素直にすごいと拍手するのが自然な対応だ。

多分みんなそうでしょう。オレも今ではそうなったんだけど

20歳で家を出る時まで、母の高学歴や芸能人といった”勝負”に勝ってきた人は「厚かましい」という考え方に引っ張られていた。

 

ま、母も今では宗旨替えしたようで

Youtubeのインフルエンサーの話なんかをよくするまでになった。

これは父親というストレスの発生装置が消滅したことと、そういう世間外れした考え方を私に咎められるようになったことがあげられよう。

 

閑話休題。

 

人生に”勝負”はあるんだ。

就職活動もその一つだ。

 

 

それを無かったことにするのは、

無効にしようとするのは、

負けを認めようとしないのは──────

おかしいと思います。

 

 

面倒くさくても、落とされることがあっても

説明会聞いて、エントリーシート書いて、面接聞いて

 

それを全部削除して面接1階の会社を受ける弟より

オレのほうが称賛を得られるべきに決まってる

 

いや称賛なんていらない

 

オレの”理想”には、就職活動の”勝負”で勝利して内定を得る必要がある────────────

 

おれはひとりぐらしがしたい──────それだけさ

 

 

「「なんか違う」なーと思ってね、中退しました」というsyamuさんと

(かつての)母の精神性は同じだが

ボクはいやですね👼

 

 

なお、「ライフスタイル」(人生)の結果については、全て自分ひとりにのみ責任が帰せられるべきだ。

だからオレはもう弟の就職活動に干渉は全くしない。そもそも不必要だ。

 

 

オッサン オメェらはウルトラマンにでも守られてんのか?

それとも…

 

楽園にでも住んでんのか

 

坂本ジュリエッタ(エアマスター)

 

・・・・・・

 

 

今日の授業は終わり!

また来てね!

 

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