【箱根駅伝】「無念の繰り上げスタートです!(泣)」←無念じゃなくないですか

 

 

めうにんげんダイアリーへようこそ!

こんばんは!

 

 

よせよせ! 沢山・・泣けばその分いい人間・・・

上等な人間になった気か?

 

胸クソ悪い!

あんなものは映画館の涙・・・・・・・・・・・・・!

 

自分では指一本動かさず 汗もかかず・・・・

感動だけはもらおう・・・・っていう

横着者の涙・・・・

 

後藤利根雄(賭博覇王伝 零)

 

 

繰り上げスタートは映画館の涙

 

──────20xx年 1月3日

神奈川県・鶴見中継所にて────────────

 

箱根駅伝・実況「無念の繰り上げスタート!(涙)

鶴見中継所、無情にも号砲が虚空を舞う──────!!」

テレビの前の皆様「( ;∀;)イイハナシダナー」

 

繰り上げスタートで「感動」してしまうのは

映画館の涙と似たような性質があって

もう「感動」さえできれば中身がなんであれ構わないと言いますか…

 

繰り上げスタートが何であるかは二の次

それより、「感動」して涙(シル)をこぼして気持ちよくなりたいという

自分視点である点が

映画館の涙と似ている。

感動→涙、のはずが、涙→感動になっているんですよね。

 

 

 

もちろん、皆様は少しも悪くない。

悪いのは繰り上げスタートに関する説明を意図的に省いている

テレビ局だ。

(僕も昔は「無念の繰り上げ!(涙)」に感動していました)

 

 

結局繰り上げスタートって何?

テレビ局が繰り上げスタートの説明を省いてるってどういうこと?

 

 

では今から「繰り上げスタート(涙)」が無念でもない、全く無念ではないが無念さを相当盛っている。

こう言えるのはなぜか説明しましょう。

 

箱根駅伝の繰り上げスタートとは?

 

箱根駅伝の繰り上げスタートは、トップと大差がついた学校が本来の出走時間を早めて、つまり前の走者が到着する前にスタートする行為であります。

 

これは、道路の占有時間をなるべく減らすための方策なのですが───────

 

 

繰り上げスタートは無念じゃない

 

毎年、箱根駅伝では繰り上げスタートになるかならないかが大問題のようにテレビでは扱われていますが

実はどっちでもほぼ大勢には影響ないです。

 

「全区間襷が繋がった章」は公式にありませんし、非公式でも全く重視されない指標です。

何区間連続襷繋がった記録とかはまず意識されません。

襷が途切れなかったことによる次回以降の特典も、栄誉もないです。

 

襷が繋がったという話題は専ら実況が9区での盛り上がりを演出するシーン以外ではほとんど意識されないのです

 

 

だって繰り上げスタートになってる時点でだいぶ出遅れていてシード権はほぼ無理ですし、タイム差を計算して公式記録は残るから別に繰り上げでも問題ありませんし。(棄権で襷が繋がらなくなるのとは扱いが違う)

 

この「無念の繰り上げスタート」がクローズアップされる鶴見中継所で用意される襷は繰り上げ襷ではなく母校の襷なので尚更問題は無い。

 

 

繰り上げスタートはテレビ局の都合

 

繰り上げスタート、それは「作られた情緒」ですよ。

誰にって?そう、テレビ局にね。

 

箱根駅伝も終盤戦になると1位争いは決着していることが多く、残るは10位(シード権)争いくらいしか「イベント」がない。

それではつまらないので、テレビ局は「ドラマ」を意図的に作ったんですよ。

 

下位のグループが同じ襷で走れるか云々…という「イベント」に「情緒」を乗せて、それが「ドラマ」であるかのようにね。

こうすることで、テレビ局は視聴者さんをより飽きさせずチャンネルを維持することができますね。

 

 

 

「無念の繰り上げスタート」をことさらに取り上げる理由は

テレビ局の視聴率を保つためというのが最もリーズナブルではないでしょうか。

 

 

 

わかっていてもうるっとくるけどね…(′;ω;`)

(私も神奈川大学の襷を手元の時計ではセーフだったという体で繋げたのとか大好きでしたね)

 

 

だけどうるっと来てはいけない…

いけないんだ…

 

本当に記録を左右するのは優勝・シード権・区間賞・区間新・棄権などを巡る攻防で

繰り上げスタートではない。

 

繰り上げスタートに感じる「情緒」はテレビ局によって作られた「情緒」で、それはまるで労せず映画館で感動だけは貰おうっていう涙なのである。

 

実際、選手はわかってるから、繰り上げスタートになって大号泣して「大変なことをしてしまったァァァ😭母校の襷を繋げませんでしたァァァァァ😭😭」となりませんよね。

 

 

 

あと神社の真ん中は神様が通るところだから端っこあるきましょうとか、神社から出たら鳥居にお辞儀しましょうとか、あれは明治時代のマナー講師が広めたものですから。

あのお辞儀、もし時間停止した世界でもやりますか?

誰が決めたルールに従っているのと、自分視点という点でこれも無念の繰り上げスタートと似ていると思います。

 

 

 

・・・・・・

 

 

今日の授業は終わり!

また来てね!

 

 

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