鉄道ファン同士の言い争いを駅で撮影していた人物が
そのうちの1人に暴行され重傷を負った事件を受けて
考えを述べます。
(犯人がはっきり悪であるのはわざわざ言うまでもないことですし、被害者の方が無事であるよう願っています。
この記事では晒しの観点から考えていきます)
他人の喧嘩はせいぜい見学で留めておくべきだ
それを撮影して
あまつさえネットに上げるのは
「いじめ」と同じ構造をした
陰険な行為なんだ。
中学2年生の時だった。
2人の人物が教室で喧嘩をしていた
クラスメイト達は円を描いてまるでショウのように観戦していたんだ。
ある人物はそれを見て
(恐らく中二ゴコロが必要以上に露悪的にさせたのだろうが)こう言った
「ローマの剣闘士が何であれだけ流行ったか分かった気がするw」
・・・・・・!!
僕はその時からこう反論したかった。
喧嘩は
見世物じゃない
お互いにやらせておけばいい
観戦さえするべきではない
(後述するグラップラー刃牙とか
またはエアマスターのような
「ストリートファイト」であれば
その限りではない)
観戦して、しかも全く「安全」な地点から
撮影しようという行為は
ちっとも粋ではない。
グラップラー刃牙で喧嘩師の花山薫と
バキがゲーセンで喧嘩をしている時
ギャラリーは皆固唾をのんで見守っていたし
時に感心もしていたが
「せや、この喧嘩を撮って後でTiktokに上げたろ!」
違うだろ…
違うだろォォッ
そもそも危険だ。
野次馬のスマホ撮影は
相手の怒りを引き起こすんだから。
衆目はばからず
喧嘩をしている人間の精神状態が
落ち着いているはずがないのだから。
「安全」なんて存在しない。
わかっているんだろう?
その撮影が「安全」でも何でもないということを。
これはもちろん「喧嘩」に限った話ではない。
‟野次馬撮影”について
向き合う時だ。
火事と喧嘩は江戸の華
江戸っ子
喧嘩はアフリカではよくあること
ボビーオロゴン氏の付き人
自分で自分の愛する人間だけは…
他の人間はいい
自分の愛する人間だけは最低限、絶対守るのが
おまえの
ささやかな世界
平和だ
その‟腕力”がなくてどうする
度を越した人間とは最後は肉弾戦だ
戦う時は戦うんだよ
奇声をあげながら
原始人のようにな
澄野さん(ハチワンダイバー)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日の授業は終わり!
また来てね☆
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