※この記事はをのひなお先生の『明日、私は誰かのカノジョ』のネタバレを若干含みます
「もう終わりだよこの国(この国は終わりだ)」と、
「終わっているのはお前の人生定期(主語がでかすぎる)」
視点が異なるだけで
どちらも正しいかもしれません
が────────────
一つ確かなのは
「もう終わりだよこの国」という「嘆き」が自分を‟救わない”こと
嘆いたって憂いたって
ルールは変わって自分が掬われることはないし、現実も変わらない。
『明日、私は誰かのカノジョ』で一番人気なのはゆあてゃで────────────
多分一番不人気なのはもえたゃだ
・・・・・・
ワカリマスカ?
この世は平等にできてない。
明日カノにおいて、愚行を繰り返すゆあてゃより最後現実に立ち戻ったもえてゃのほうが賢明なのにも関わらず────────────
(もちろんゆあてゃが人気なのはただのルッキズムではなく、滅びの美学のようなものがあると思っています)
ルールや現実を受け入れた上で、自分を幸せにするように行動した方がいい。弱者とか強者とか親ガチャとか関係なく、理想と現実のギャップへの対応は、自分で埋めようとするか、さもなければ諦めるか。どっちかです。
それが宮廷のしきたりでありコモンセンス
「syamuさん」を救うルールは無く
ルール改正も不可能。
「もう終わりだよこの国」…なるほど、確かにこの国は終わりかもしれない
しかし終わっていても、いなくても、
自分は自分で救うしかない。国なんか気にしてる場合じゃない。気にするにしても、まずは自分を救ってからでしょうよ。自分も掬えてないのにどうして自分より遥かに巨大きな国を救えましょうや?
未来を明るく照らせるのはきっと自分でしかないのだから。照らせるのはきっと自分でしかない
オレも戒めたい。ごちゃごちゃ理屈を言ってるより『おっぱいを揉んでいる時間』の方が”優秀”なのは間違いねェ
行動なんだよ…!人生は…!
後藤利根雄(賭博覇王伝 零)
行動→おっぱい と言い換えられますね
国を嘆いているより行動をしておっぱいを揉んだ方が偉いし幸せだからね
‟おっぱい”なんだよ…人生は…!
自説の正当性は闘って示すしかない
受け入れようが拒否しようが無関係
条件に左右されぬ力
自らの意志を希望通りに実現させる力
それが強さの最小単位
ということですね☆
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・・・・・・
今日の授業はおわり!また来てね!