めうにんげんダイアリーへようこそ!
こんばんは!
最近、ブログが単なる記憶の保管庫みたいになっていて、これはいけない。たまには自分の‟考え”を書こうかと思って、こうしてこの記事を書きました。
1945年、大日本帝国の軍隊に徴兵されていた。
ある日所属している部隊で「うちでも特攻をやるから、志願者(迫真)は前へ出よ」と言われたときに
その場で拒否できただろうか──────
それとも、周りに合わせて後悔にさいなまれつつも特攻を志願してしまうだろうか?
考えた。
私が特攻をやりたくないのは
・死は「終わり」であるのでよほどのリターンがある場合意外は避けなければならないと考えていること
(リターンとはよっぽどのことが無い限り現世の話。
私が特攻すればスエズ運河を70%の確率で埋められるとしよう。それでも考えられない。
公が権利を損ねることはなくせないとは思っているけれど、死はありえないでしょうが)
(よほどのリターンとして考えられるのは、敵船に突っ込まなければ海上で燃料切れになり溺死がほぼ確定している場合とか。)
・20メートルのバンジージャンプですら恐怖して10分間しり込みしてた臆病な私が、それを遥かに上回る恐怖を味わいたくないこと
(↑にも関連するが、私が死刑囚だったら処刑当日抵抗しても現世での死の恐怖の苦痛が長引くだけなので暴れないのが最善手だと思う。実際にできるかはわからないけど)
大まかにこの2つの理由がある。
軍隊の空間で特攻は、‟みんなを守るために”必要な犠牲という認識だっただろう。
当然拒否すれば「自己中」「人類の敵」「村八分」扱いを受ける。現代で例えるなら、シェアハウスに住んでいて、ゴミ箱やトイレを使っている癖に自分一人だけゴミ捨てやトイレ掃除を拒否しているような人が受ける視線を自分も受けるようなものだと思う。
軍隊なんだから、冷ややかな視線どころか暴力を受けるだろう。様々な嫌がらせ(例えばご飯抜きになったり寝床に布団がなかったり)も受けるだろう。「反逆」に近いからね。
その中で拒否をできるか…
その場で、
戦局が厳しいという現実は事実でも、その責任はトップにあって、末端の生命が責任を取るのはおかしい、そもそも特攻で戦争の結果が変わるのかという発想に至れるだろうか?
その直後に受けるであろう罵倒や暴力にしり込みせず、死ぬよりマシだから反対するしかないと判断できるだろうか?
いや
難しい話はわからなくても
「自分が死んだら終わり」の一点でその場ですぐ反対できるだろうか──────
また、終戦の日まで特攻を拒否し続けられるだろうか。
家族が非国民扱いされてるとささやかれても、それは俺の責任じゃないだろと思いを持ち続けられるだろうか。
今の私では確信なんてほど遠い。
当日気が付いたら操縦席に乗ってしまっていて、‟ゲームオーバー”になっているかもしれない。
文字通り人生終了する選択肢に考えを尽くして答えを出すことさえできず。
特攻を拒否できたら…
「熱く」なれたら…
背筋を伸ばした思想と‟魂”、そして付和雷同しない「熱さ」を持った人は特攻を拒否できると私は思っています。
周囲に付和雷同せず自分の意志を貫ける「熱さ」を持った人。私は前からこれが人を魅力的と感じるかの分岐にあると思っている。人生は「熱さ」さえあればいい。人生は実績解除じゃない。「熱く」なれたら勝ちなんだ。
この記事は前回の「嫉妬」に関する記事の続編なんですよ。「嫉妬」は「熱さ」と正対なんですよ。「嫉妬」は大体付和雷同で行われますからね。
グレタ先生、アイリス(ポケモン)、小室圭先生、バキ道 に「嫉妬」している人が多すぎる
単なる頑固ではなく、背筋を伸ばして意志を貫けるのが「熱さ」。
最近よく思うんですよ
大学の先生って基本「熱い」人ばっかりでさ…
オレにも「熱さ」が欲しいと
いやいや特攻するよりは、「最後の一線」を貫いて軍隊でリンチされたい。
持ちたいなぁ・・・「熱い」くなりたいなぁ・・・
おまけ
小さな光だけど 何時かは
もっと もっと つよくなりたい
プラチナ/坂本真綾
今日の授業は終わり!
また来てね!
作戦の良し悪しは別として、特攻してくれた人たちがいたから、今の自分たちがいる。
>pさん
特攻隊の一人一人を思い、記憶したいですね。
コメントありがとうございます!