4年前にオレは「安楽死を実現する党」に清き一票を投票してきたんですが

 

オレは4年前、メンタルの調子が悪く

Twitterで#比例は安楽死 とかつぶやいたり、参議院選挙にわざわざ行ってまで「安楽死制度を考える会」に入れてきたことがあった

(安楽死はNHKから国民を守る党にも負けるほどの圧倒的敗北で1議席も取れず、そのショックで消滅してしまった)

(ちなみに僕が最後に行った選挙だ)

 

 

今、その時の精神状態に接近づいている感じがある。最近、時々すべては虚しく気力が不存在(ない)

 

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これを打破するには”生”の実感、そして

会社の同僚への「精神勝利」だ────────

 

なので明日あたり、カラオケに朝からいって

会社員時代の生活を思い出し、精神勝利にひたり精神を防衛しようと思います。

このニートを通り越して引きこもりで、会社や母親に言われたことばかり頭をよぎる脳を一度焼け野原にしなければならない。

 

 

これは必要なんだ…

 

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あと余談なんですが今日ひろゆき氏が「安楽死施設はあったほうが良いと思っています。」などと言っていた。

 

 

この手の議論を考える時、安楽死と安楽死施設は分けて考えた方がいいでしょうよ。

安楽死は真摯な絶望を持っている人への救いになりうることは否定しない。しかし、安楽死施設はよくないね🥲

安楽死は「救い」になりうるのは間違いない。しかし非常にデリケートなんだ。外部の人間が触れずに100%当事者の意志だけで決められなければならない。でも安楽死施設が出来たら安楽死を選ばないことを白い目で見られる社会になり、それは社会のプレスで「特定の人間」に安楽死を選ばせてしまう、ディストピアに近づいた社会だと思いませんか?ディストピアが理想的ですかと。

 

安楽死は誰にも邪魔されず自由で救われてなきゃあだめなんだ

 

安楽死に賛同する人も分けて考えるべきだ。

真摯に安楽死をしたい人自分は安楽死をしたいわけではないが、「特定の人間」は安楽死施設で安楽死できる社会が望ましいと考える人。

圧倒的強者のひろゆき氏は後者の立場で言っているわけだが、オレは後者はサディズムだったり優生思想の隠れ蓑だと感じるので賛成できませんね。ひろゆきさんは大家が家汚れるから安楽死を許可しろて怖いっピ。しかも延命治療の拒否と一緒くたに語ろうとしているのも悪質なンだわ

 

僕は安楽死への関心から安楽死を実現する党に投票したことがあるが、やっぱり安楽死も安楽死施設も認めるべきじゃないわね😾

自殺の恐怖のハードルを下げる必要は無いですね。自殺の圧倒的恐怖を乗り越えるのに見合うほど死にたくて仕方ないのなら、自殺を選ぶ。自殺という「商品」の「価格」を下げ供給は下げなくていいですね

 

自殺の恐怖が乗り越えられないなら生きてね🥹という現状のスタンスのままでいいでしょうよ。なんで国が自殺のハードルを下げる必要があるのですか

 

 

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国は国民を助けるのは当然だ。実際の運用はともかくそういう建前が無くてどうするんだ

死をも望むようになってしまった不幸せな人たち。その人たちに何もしないならまだしも、処分で解決するとか戦争だろうが

 

 

国もひろゆきも見捨てたこいつらの目を誰が覚まさせるんだ!(両津並感)

 

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