サッカーの三浦知良さんについて思うこと

 

 

 

三浦知良さんは

 

  • 老害
  • 実質敗退行為
  • 通用してない客寄せパンダ
  • 彼のため出られない選手がかわいそう
  • 忖度で達成した最年長記録になんの価値が🫠
  • ワールドカップに出られなかったのはフリーキックや監督の頭を勝手に蹴ってたから自業自得

 

といった批判があるだろう。一方で

 

  • 中高年の星
  • チャレンジ精神
  • 客が望んでいる
  • オーナーも望んでいる
  • 引き際なんて誰に憚らず自分で決めればいい
  • どうせアトレチコ鈴鹿はカズ以外の話題で盛り上がることはほぼ無い(勝ち負けを厳密に気にするよりカズの話題性の方がありがたい)

 

 

という点で反論ができる

 

どう解釈するかはともかく

賛否両論、どちらサイドにも間違いなくあるんですよ

 

 

(個人的にはこれらの論点は “互角” だと解釈する。全否定も全肯定も真理から最も離れた位置にある、ということ)

 

だから、安易に三浦知良選手を全否定・全肯定の立場から論じるのは「危うい」、そう思いました

 

・・・・・・

 

 

彼はわかりやすく、世の中の大抵の事象が「複雑」 だってことを教えてくれるね

 

 

世の中大抵三浦カズですよ。微妙なバランスの中揺蕩っているから安易に全肯定全否定をするべきではない。「ピッコロ大魔王」みたいなわかりやすい悪人はそんなに無いから

少なくとも人間においては

はっきり善の心の無い悪、擁護のしようがない悪だと言い切れる個人は

ヒトラー、syamuさん、オレの父親くらいのものだ

 

善悪がはっきりすることの方が珍しい。一寸の虫にも五分の魂、ということがほとんどだ 最近各地でおきている戦争も「正義」のぶつかり合いでどちらかに100%肩入れは出来ないンだわ(ただし「正義」は定量的に測ろうとするべき)

三国志の著者の陳寿は大抵の人(孫晧は除く)に対していいところを一つは見つけるようにしていたという

最近シンガポールで懲役17年半鞭打ち20回になった性犯罪者でさえ鬼畜の所業を平然と行いながらも善良な「市民」としてシンガポールの日本人社会で活動していたXが残っている

「論争」が起こっている時点で、相手にも「ファン」がいる時点で、相手を「完封」しようとするべきではない。善悪は事実だけじゃなく、何を重視するか、どの立場ポジションか、どの「宗教的信念」かによっても左右されますし。最も、確かな前提は共有、なるべく積み上げた上で議論はされるべきですが(特に科学においては)

鬼滅の刃の無惨でさえ悪の化身みたいなもんだが一応不老不死を与えているとか平安時代から生きてる、思考が読めてすごいという点で擁護できなくもない…どんどん話が脱線しますね🫅

 

 

 

まあつまり

 

 

一つの意見があれば、もう一つの意見がある

(the one opinion and the other opinion)

 

Al Jazeera Arabic

 

 

当たり前だがこの精神を大事にしたいですね

(真理は探しながらね)

 

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