AI・反AIについてあれこれ
まず初めに言っておきますがボクは「絵のエッセンスは過程(手段)より結果にあるよねと思う側」です
あとボクは絵も描かないし生成AIも使わない(LLMは毎日使う)のですが、この記事は単に未来の予測で書いてます
こういう話題考えるの好きですし
タイムラプス
最近、タイムラプスってやつがAIでも再現できるようになって炎上してたんですよ
「これ嫌がらせだろ」って
AIではない “証明” としてのタイムラプスが意味を為さなくなるじゃんって
ボクの解釈は違って
AIの発展に伴ってAIか否かの判別はますます難しくなっていて、手書きかどうかという “論争” そのものが “無効” へ近付いていくと思っている。タイムラプスもその流れの中の一つだと。そういう風に解釈をしました
AIの無い世界にはならないよね
AIの発展は止まらない。
結局、AIをめぐる対立が生じるのって絵師の側の沽券に関わる危機感が一番デカいと思うんですよ
反AIの側が主張する「AIは無断学習するな」って論点はデコイみたいなものだと感じる
「街中の防犯カメラはプライバシーの侵害」って主張並みに “(字義通りの)雲を掴む” ようなものだと思いますし────────😶🌫️
著作権侵害と一切接点の無い人だけが使える理屈だとも思うんです それに「無断学習」を断罪することはイコールでChatGPTとかのLLMも将棋AI(※)も否定することになるので、それはどーですかね 社会的にも個人的にもしんどいと思う
※最初は棋士の棋譜で強くなった
結局、AI絵のレベルが高すぎるから出てきた論点であって
AI絵のレベルが一生 手掴みラーメンだったら反対運動が起きることなんて無い(断言)
あと界隈の人たちによる「書けない癖に」「なんの才能も無い人間が~」的なの見かけることすごい多いんですが、それマジで言ってるならピントズレまくってますよ
だが、反AI絵師には同情できる
突然出てきたAIに地位を奪われる “ショック” は心中お察しする
AIは芸術方面には弱いだろうっていう定説が2020年くらいでも支配的だったのがまずくて
突然のAIの出現、発展に対して
絵師の側に受け入れる心の準備が全然出来ていなかったはず(今も)
成田空港問題がこじれた原因の一つに、根回し無しでいきなり作ろうとしたからという点があってそれと似ている
AIやそれに関わる人たちを攻撃するのは違うが、すぐには受け入れられない心情は理解できる
だけど、AIの無い世界にはドラえもんがサービス開始してもしもボックスが実装されない限り戻れないんですよね
AIイラストについてのとあるnoteで見た表現なんですが
「国会議員になっても止めるのは無理」
ボクもそう思います。アメリカ大統領になってもどーだか🤔(無理寄りの無理やね)
AI全否定で純粋手書きしか絶対認めない理論は無理筋
AIイラスト全部BANな世界には多分ならないです。AIとは嫌でも共存するしかない。心を閉ざしても喜びが無い。de facto(事実上の)として受け入れるしかない
ボクはそう思います
富士フイルムはフィルムカメラに用いる素晴らしい技能を持っていたんだけど、デジタルカメラの登場でその技術による業界での優位性が失われてしまった。しかし会社一丸となって化粧品メーカーへの転身を決意し、見事成功した
デジタルカメラを攻撃してたら会社を潰してただろう
(まあ今でも写ルンですはあるけど)
AIと共存するしか無いよね
- 「養殖」AIを使う
- 「天然」AIを全く使わない
両立すればいいよね。麻雀だってクイタン有り無しはきめられるし、完全先付ってルールもありますよ
棲み分ければいいのに(棲み分けしか無い)ちょっと極端な考えする人が多いんですよね。クイタン有りは麻雀じゃない🤬って感じの
こういう反AIはラッダイト(※)やブラジルの勝ち組(※2)、
美味しんぼみたいだと思う
※機械打ち壊し
※2戦後のブラジルの日系人社会にいた日本の敗北を認めなかった人たち。勝ち組という言葉の語源になった
美味しんぼでは “天然” (作中で「本当の~」とか「本物の~」とか「本当に美味しい~」って言われるやつ)以外を1ミリも評価しないんですよ、マジで コスト面でさえも評価しない
化学調味料入りの料理を作ってる人も食べてる人も全否定する 店の中で「化学調味料の入れすぎで舌が麻痺するぜ!」ってね(化学調味料で舌が痺れるのは気のせいだとされる)
この全否定っぷりは、美味しんぼという作品が好きなボクでも受け入れがたい理屈だし
作者は何喰って生きてるんだろうて疑問です🦭
頑なな反AIは美味しんぼと重なるんですよね
「あなたはあなた、私は私」でいいじゃないですか
別にこっちは化学調味料入れない料理をそんな風に否定したりはしませんよと
ボクは手書きの絵師もAI絵師(術師)もフォローして作品を見ているのですが
AIで作品を投稿する人がいっぱいフォロワーやいいねを集めている光景はもうありふれているし
美味しんぼを彷彿とさせる “天然” 以外への拒絶をオレは “頑迷さ” だと受け取ります
燃やすのはおかしいよ
※アメリカの敬虔なキリスト教徒の集団で
19世紀の生活をずっと続けている
手書きの今後について
僕の個人的な予想にすぎませんが
商売としての絵、手書きのイラストどーん!的なのは少しずつ削られていっても完全に消滅はしないでしょう
AI登場以前に絵への評価で得ていた「名声」も当面は威光を示すと思いますが────────
今後は絵の上手さより
絵師のタレント性、伝統工芸品パワー、最後の女神のアイデンティティ(AIに絶対に模倣されない領域)、交渉力なんかが重要になってきそうな気がする
ヒトラーが描いた絵にはめためた値打ちがある、究極的にはそういうことだと思います
言うまでもなく “趣味” としては全然残るでしょうし
あと見る側でもまだ反AIは結構いるし今後もいるだろう。化学調味料不使用も売りにするラーメン屋はあって、それを好む客も存在するんですね
従来の手書きの絵にお金を使ってくれる個人や会社は残る気がする
反AIとAIの対立の今後について
書いた通り、AIは不可逆的なので
銀魂の世界で天人が当たり前にいるようになり攘夷を選ぶ人が減っていったように時間をかければ対立は沈静化すると思う
癒してくれる
と思うんだけどどうだろう