【書評】独ソ戦 絶滅戦争の惨禍(著:大木毅)

※かきかけ

 

めうにんげんは?

 

我らと共にパタ!

 

 

突然大木毅先生「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」の感想を書きたくなった

 

この本を読んだのは3ヶ月くらい前パタ。印象に残ったところを徒然なるままに感想を述べていくパタ

 

 

どうして独ソ戦が始まったのか

 

大体ドイツが悪い

 

 

独ソ開戦はソ連の先制攻撃の予防という説があった。しかしソ連軍はスターリン粛清しまくったおかげで、軍の背骨とも言える将校がかなり消えていた(※)

※将校の半分程度を粛正したとされる

 

ヒトラーは‟腐った納屋は入り口を蹴れば倒壊(※)”、と表現したパタ

※実際ソ連軍はフィンランド相手に大苦戦していた

 

 

そんな状態で先制できるはずもない

それどころかソ連はドイツとことを構えないよう、かなり気を使っていた(※)

※挑発になるからソ連とドイツの国境で目立った防備をすることも禁止するとか

 

 

 

スターリンはドイツと戦争は起こらない、起こってほしくない(※)、そう思っていたのがよくわかるパタ

※ドイツ軍の攻撃が間近になると諜報員から多数の情報が寄せられたがスターリンは全てを拒否した

 

しかし戦争は起きた。ソ連軍はドイツとの国境地帯でなんの防備もしてなかったので次々捕虜になり、緒戦で大敗北を喫する

 

スターリンはどうしてドイツに備えなかったパタ?

いくらソ連軍の準備が整わなくても、ドイツが侵攻の準備をしているなら備えるしかないパタ

 

スターリンはヒトラーに個人的に好意を持っているフシがあって、これが少しは関係するかもしれない

 

 

それでは、どうして独ソ戦が始まったの?

 

この本では要因をいくつか並べ断定してはいないのだが、ヒトラーの意志がやはり大きいと思った

 

ヒトラーはどうしてソ連に侵攻したパタ?

 

‟東方生存圏”のためでしょう

 

東方生存圏って何パタ?

 

ヒトラーはソ連の広大な領土を占領し、スラブ民族を追放、奴隷化、餓死させてドイツ人を移住させるつもりだった

 

釣りかパタ?

 

釣りではない。ヒトラーはユダヤ人同様スラブ民族(とりわけポーランド人、ウクライナ人、ロシア人など)を蛇蝎の如く嫌っていた(※)

 

※↓ヒトラーの側近との会話を収録した「ヒトラーのテーブルトーク」についての記事も書いたので参考にして欲しい

【書評】「ヒトラーのテーブルトーク」(著:アドルフ・ヒトラー)

 

その思想に基づいて戦争が始まったパタね

 

独ソ戦は最初こそ「通常戦争」の側面を残していたが、次第に戦争は「絶滅戦争」の色彩が濃くなっていく

 

 

ただ、ヒトラーだけでなく国防軍(ドイツ軍)もノリノリでロシア侵攻計画を練っていた

 

 

国防軍がヒトラーに無理やり付き合わされたわけではない(※)

 

※昔はドイツ国防軍は純粋に戦闘をしただけで犯罪には加担していないという‟神話”があったが、冷戦終了後国防軍の犯罪をテーマにした「国防軍展」がドイツ各地で展示され、それ以降国防軍が無罪だと考えるドイツ人は少なくなっていった

 

独ソ戦は地獄?

 

地獄だろうな

まず、ドイツ軍の捕虜になると半分は生きて帰って来れない

 

 

絶滅させるつもりだったからパタ

 

しかしソ連の捕虜になっても同じようなもので、ロシアの寒い気候の中でドイツ人はほとんど戻ってこれなかったらしい(※)

※1割くらいしか返ってこられなかったとか

 

 

 

シベリア抑留では日本人は60万人抑留されて6万人ほどが亡くなったとされている

シベリア抑留を相対化するわけじゃないが、日本人の扱いは実はまだマシだった

 

 

日本軍とソ連軍は最後の1ヶ月しか戦ってないパタ

 

シベリア抑留者が描いた絵が見られる素晴らしいサイトがあるんだが、日本人は憎まれてはいないんだよな

 

祖国を侵略してやりたい放題(※)したドイツ人の方が悲惨な目にあってもおかしくないパタ

※アインザッツグルッペン(特別行動部隊)がロシアを巡回して虐殺をしていた

 

何故戦争末期のドイツで革命が起きなかった?

 

枢軸国の多くの国で劣勢になった途端革命が起きて政権が倒されていた。

 

1つの理由に暮らし向きの良さがあげられる

戦争末期の1944年でもドイツ人は1日3000カロリーくらい取っていたと

 

同時期の日本人はその半分もなさそうパタ

 

もちろんそのカロリーは占領地から奪って来たんだが

 

ローマ帝国みたいパタね

 

ヒトラーは古代ローマを尊敬してるし

 

それで、ドイツ人はいい思いをしてたパタね

 

戦後も、ヒトラー時代は悪くなかったと考える市民が結構いたらしい

 

 

まあ、その代わりポーランド人は1日400カロリー、ユダヤ人に至っては200カロリーしかなかった

 

死ぬしかないじゃないパタ

 

 

ソ連は物量で勝ったという誤解

 

独ソ戦は、戦術に勝るドイツ軍をソ連軍が物量で押し切ったという印象があるパタ

 

 

しかし、これは誤解だ

これは戦後の西ドイツで流された説で、アメリカやイギリスとしても冷戦でソ連と対立していたことからこの説は都合がよかったので受け入れられた

 

この説は20世紀にはかなり間違いが指摘されている

 

 

現在は否定されているパタね

 

 

日本で未だにソ連は物量のイメージがあるが、今後はこの「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」が独ソ戦の入り口として読まれるようになれば誤解も解かれていくだろう

 

ソ連の戦術はどう優れていたパタ?

 

ソ連には「作戦術」があった

 

作戦術パタ?

 

ミリタリーには明るくないのでよくわからなかったが、ようは大目標(戦略)と小目標(戦術)との間にあって、これらをすり合わせ、勝利に向かって首尾一貫した行動を取れるソ連の作戦様式のようだ

 

ソ連軍はドイツ軍を戦略、戦術面でも上回っていたパタ?

 

戦争後半ではそうだと感じた

 

そもそも、「物量」で負けたが‟実力”はどうかな!!的な発想自体が変だと思う

 

「物量」だって立派な「国力(パワー)」だ

 

ドイツは敵の「国力」もわからず際限なく喧嘩を売り続けて最後は破滅パタ

 

ナチスドイツは負けるべくして負けた

 

 

 

ドイツ軍に勝ち目はあったのか

 

ソ連の政治委員(軍を指揮する共産党員)は捕虜にしてもすぐ処刑するコミッサール指令、捕虜の待遇の悪さが合わさりソ連軍は降伏せず必死に戦った。

 

また、民族間戦争の性格を出すべきでもなかった。共産主義との闘いでありウクライナ人やベラルーシ人やバルト三国人やロシア人の敵ではないというアピールもすればよかった。

 

しかし、そもそもそれなら独ソ戦はおこらなかっただろう。

 

感想

 

独ソ戦は「巨悪を制するのはそれより大きな巨悪」戦争だと印象を持った。

 

 

ドイツ人は各地で残虐な行為を働いたが、ソ連の報復も過酷だった。

 

ベルリンの戦いではドイツ人の女性が‟戦利品”として扱われた。

中世以来東プロイセンの中心都市であるケーニヒスベルクはドイツの手から離れ、ロシア領のカリーニングラードになった。当地にドイツの長い歴史を感じさせるものはほとんどないという。

 

また、ドイツ人は東欧各地から追放され、東ドイツは共産主義国としてソ連の衛星国にさせられ、また東ドイツの工作機械など多数がソ連に持ち去られていった…

 

しかし、ドイツが勝ってたらロシア人はドイツ人の奴隷としてしか生存できなかったし、国を残してもらえただけありがたいのかもしれない。

 

 

未だに理不尽な国境(※)は残ったままで、勝ったロシアの国体も現在に至るまで日本やドイツのように大きく変わることは無かった。

※ロシア(ソ連)はバルト三国を併合した後、地味にラトビアとエストニアとの国境をいじってロシアの領域が広くなるように調整している。ラトビア・エストニアは諦めるしかない

 

国際社会は必ずしも正義が勝つわけじゃない。悪と悪が闘ってどちらかが残ることはある。

 

感想(スターリンという男)

 

スターリンは巨大な悪人だ。

彼が‟免罪される”点があるのは、戦争に勝ったという一点だけだ。

 

しかしこれが大きいのだ。どんなに悪くても、媚びず、開き直り、力と勝利によって外野の文句と自分の猜疑心をねじ伏せる。

 

彼は今でもロシアにカレリア地峡、カリーニングラード、樺太や千島列島、北方領土などをもたらした。

 

私はスターリンには共感を伴わないまま‟ある種の憧れ”がある。

強くなりたい。

 

 

 

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汝なくして我等が人生に価値などない。

 

「イランの愛国歌」より

 

 

今日の授業は終わり!また来てね☆

 

 

 

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